斗南丘 原牧場

元気な牛からおいしい牛乳を

牛にストレスが少ないよう、配慮した飼育を行っています。牛舎は「フリーストール方式」を採用。通常の牛舎では、牛は鎖などにつながれていますが、フリーストール方式は、牛舎の中を牛が自由に歩き回ることができます。牛は食べたいときに食べ、休みたいときに休み、水を飲みたいときに飲みに行き、のびのびと過ごしています。また、衛生面に配慮して、搾乳する時には牛を専用の設備に移動させて行います。



大地と融合した循環型の酪農

斗南丘では、地元のエサを主食とした循環型の酪農を行っています。水はけのよい畑作に適した20ヘクタールの農地で、牧草とトウモロコシを自社で栽培しています。春に蒔いた種は、秋に収穫を迎えます。収穫して牛が食べると、それで終わりではなく、牛フンはやがて堆肥となって畑に戻ります。そして堆肥の栄養から牧草が成長して・・・と繰り返していきます。

エサを食べる牛たち_画像
広大な牧草地_画像

ミルク工房ボン・サーブ 黄色い建物_画像

ボン・サーブのミルク製品_画像

ミルク工房ボン・サーブ_見出し

ここでしか味わえない濃厚ソフトクリームはいかが?

直売店「ミルク工房 ボン・サーブ」では、ヨーグルトなどの乳製品が購入できます。そして、ここでの楽しみは何といってもソフトクリーム。ボン・サーブのソフトクリームは生乳を75%以上使用。卵や生クリームを使っていません。牛乳の濃厚な味わいが評判で、夏には行列ができることも。下北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください!



動物とふれあい、大地と風を感じられる斗南丘

お店の周りでは、春から秋にはポニーやヤギがお客さまをお迎えします。前庭の芝生も開放していますので、広々とした斗南丘の景色を楽しんでください。斗南丘は、下北最大の段丘面として、下北ジオパークの見どころのひとつになっています。ジオツアーも年に数回開催されています。自慢のソフトクリームを食べながら、地球の成り立ちに思いをはせてください。

ボン・サーブの歩み_見出し

1870~ 斗南藩の開拓

1870年、会津藩の人々が再興を志して下北に移住し、斗南藩をつくりました。当時、開拓の拠点として市街地を築いたのが、現在の酪農地帯の北にあるむつ市最花地区周辺です。藩の名前にちなんで、一帯を斗南丘と名付け、開拓を始めました。しかし、痩せた土地とヤマセ(冷たい東風)による強い冷害に苦しめられ、開拓はうまくいきませんでした。現在の斗南丘は、アカマツ林となっていました。



1942~ 酪農が始まる

青森県のモデル酪農地を作ろうと、北海道で開拓の実績を持つ富樫鉄之助氏を団長とする「斗南丘酪農集団」が、1942年に開拓を開始しました。北海道からの移住者を中心に、1946年には全20戸が酪農経営を始めました。ところが、非常に痩せた土地だったので、牛が栄養失調で次々と倒れてしまうという苦難に見舞われました。それでも、土づくりに長い時間をかけて、元気な牛を育てることができるようになりました。



1997~ 生産者が消費者に直接届ける時代へ

全国で生乳の生産は計画的に行われていて、牧場では生乳が余ってしまい、出荷できないこともあります。そうした生乳を活かしたい。また、地元の人に直接届けて味わってもらいたいという思いから、視察や研究を重ねた結果、質の良い牛乳だからできるヨーグルトのレシピにたどり着きました。酪農家有志が出資して「ミルク工房ボン・サーブ」を1997年に設立。現在も、おいしい牛乳を活かした乳製品づくりが行われています。

①富樫鉄之助像(JA斗南丘酪農)

②北海道様式の建物(原牧場)

北海道からの酪農家の移住とともに、畜舎などの建築様式も持ち込まれました。


③三角点からの風景(原牧場敷地内)

原牧場の丘の上には、斗南丘を見渡せる三角点があります。長年の努力によって豊かな大地に生まれ変わった斗南丘は、下北半島の重要なジオサイトのひとつです。(※三角点は私有地内にあり、許可なく立ち入ることはできません)

画像レイアウト図

富樫鉄之助像_画像

北海道様式の建物(原牧場)_画像

三角点からの風景(原牧場敷地内)_画像

写真レイアウト図
①富樫鉄之助像(JA斗南丘酪農)

②北海道様式の建物(原牧場)

北海道からの酪農家の移住とともに、畜舎などの建築様式も持ち込まれました。


③三角点からの風景(原牧場敷地内)

原牧場の丘の上には、斗南丘を見渡せる三角点があります。長年の努力によって豊かな大地に生まれ変わった斗南丘は、下北半島の重要なジオサイトのひとつです。(※三角点は私有地内にあり、許可なく立ち入ることはできません)

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